2012年5月29日火曜日

雨の下に、愛は宿る


電車の中があまりにも暇だったので、ショートショートを書きました。


一応、「あの子は可愛い女の子」の続編です。


まだ読んでない人、忘れちゃった人は、そっちから読んで頂けるとありがたいです。




「あの子は可愛い女の子」



それではどうぞ。




……


まだ小学生だった少年は、公園で、たしかにその男を見た。

雨を降らす男。

男はなぜか、ステッキを持っている。

いや、なぜかではない。

ステッキを振ると、雨が降るのだ。

それは、ややもすると非科学的な響きを持つ。

しかし少年にとっては、科学的だとか、非科学的だとかいうことは、 特別勘案される事項ではない。

己の知的好奇心を満たし得るか。

それだけが、幼い彼の判断基準だった。 

そして、その男が雨を降らしている所を、少年は見てしまったのだ。

「少年よ」

男は言った。

「なぜ、私が唐突に雨を降らせるのか、わかるかい」

静かな声だった。

何もかも、悟っているかのような。

いや、あるいはこの男は、 何もかもを知っているのかもしれない。

恐る恐る、少年は答えた。

「…乾いた日常に潤いを与えるためですか?」

男は一度、小さく頷いた。

「いい線をいっているな、少年。たしかにそれもある。

だが本当の理由は、時として雨が、思わぬ愛を生み出すことがあるからだ。

それはそう、まるで稲妻の後にかかった虹のように」

男は、手にもっていたステッキを、東の空に突き出した。  

華麗な動作だった。

「ほら、あそこにもきっと、愛が生まれた」

少年は、遠い空にかかった、七色のアーチを見た。

……

二件目のバーを出ると、外は豪雨だった。

「こりゃ、止みそうにないな」

ケンキが言う。

私がそれに頷く。

たしかにやばい雨だ。

やばい、という形容詞が相応しい。

遠くで雷鳴すら聞こえる。

ここは丁度屋根になっているけど、歩道へ出たらたちまちびしょ濡れだろう。

「もうちょっとあの店で時間潰してもよかったな。

つっても、そしたらサヤカが終電逃すか」

そうだ。

私が終電に乗るために店を出たのだ。

とはいえ、終電まであと20分。

けっこうやばい。

今日は、やばいことばかりだ。

「私、折りたたみ傘なら持ってるけど…

でもこの雨じゃ、絶対壊れるよね」

ケンキは何も答えない。

何かを考えているような感じがする。

ケンキは何を考えているんだろう。

結局、何で私をバーに誘ってくれたのかは聞き出せていない。

私の顔がタイプだった?

もしかしたら、 って柄にもなく自意識過剰になってしまう。

それとも彼は、私の身体を求めているのだろうか。

私はまだ男の人を知らない。

男の人が持っている、本能。

本能が、女という理由で、私を選んだ?

わからない。

元々難しそうな問題な上、酔った頭だから、何にもわかんない。

そして、私は、何を考えているんだろう。

きっと、嬉しかったんだろうと思う。

男の人に、誘ってもらったのが。

ばれないように、ケンキの横顔を眺める。

やっぱり鼻が高くて、きっと、イケメンの類に入る人だと、今さらながら思う。

背はそんなに高くないけど、この先女の子には困らない顔立ちだ。

そして同時に、何故かは分からないけれど、寂しそうな温度を彼から感じる。

「あっ」

ケンキは小さく声を上げた。

彼は右手をあげている。

なんだろう、と思ったら、タクシーが止まった。

「今日は、うちに来なよ。

電車止まっちゃうかもしれないし」

彼の視線が、真っ直ぐに、 私を捉えた。

思わず胸がドキっとしたのが、自分でもわかった。

「え、家近いの?」

彼の顔は、飲み会の時からずっと、少し赤いまま。

「近いって言えば、近い。

ほら、飲み会のとき愛知出身って言ったじゃん。

だから今はこっちで下宿してるの」

そう言いながら、彼は開いたタクシーのドアの方へ手を差し出した。

「ほら、乗って」

断れる雰囲気ではない。

 そして、断る気持ちもさっぱりないように思えた。

私は、どこか秘密の世界に足を踏み入れるかのように、タクシーへ身体を滑り込ませた。

…… 

公園で出会った不思議な男は、もう一度、少年の方を向いた。

「少年は、恋をしたことがあるのか」

やはり、静かな口調である。

男の年齢は、外見からは判断できない。

しかし少年は、別に構わない。

その男が20歳だろうと50歳だろうと、あるいは100を超えたおじいさんであろうと。

「それは…つまり、好きな人がいるかってことですか?」

少年は、言葉を選んで聞き返す。

好きな人なら、いる。

ただ、それが恋をしているのかどうかは、彼自身にもわからないことだった。 

ごほん、と男は咳払いをする。

自然な咳払い。

男の雰囲気は、どこか少年を飲み込むようだ。

「そうではない。

好きになることと、恋に落ちることは違う」

そこまで言うと、 男は少年の目をしっかりと見据えた。

「でも君は、私に出会えたから幸せな人間だ。

私に出会った人間は、恋に落ちる瞬間がわかってしまうからな」

言ってることが、少年にはよく飲み込めなかった。

それは、彼があまりにも幼かったこと、男の言葉があまりにメタフォリカルだったこと、という二つの理由による。 

「…どういうことですか?」

男は、視線を動かさない。

そしてこう言った。

「つまり、雨なんだ。

全ては、雨からはじまる。

逆に言うと、私と出会った人間は、雨からしか恋は始まらない」

最後まで何が言いたいのか、その頃の少年にはよく分からなかった。

彼はそのまま、男の言葉とともに生きていくことになる。

中学生になったとき、彼は若干の疑いを持ち始めた。

そして、高校生になって、人生で3番目の彼女ができたとき、彼は確信した。

雨が降らないのだ。

彼が女の子とデートをする日は、絶対に雨が降らないのだ。

もちろん、それはカップルとしては喜ばしい限りである。

でも、デートの度に、いつもあの男の言葉が蘇った。

(きっと、この女の子じゃない)

からっからに晴れた空を見上げながら。

隣の女の子と手を繋ぎながら。

いつも、少年はそう思っていた。

……

タクシーを降りると、雨は小降りになっていた。

私が差し出した傘を、ケンキが手に持ち、2人で入る。

コンビニで、お茶とアクエリアスを買ってから、ケンキの家へむかって歩く。

お互いに何もしゃべらない。

でも、それは気まずい雰囲気とは違った。

ケンキが右側にいると、私はなんだか安心した。

なんだろう。

彼に触れたい、 のかもしれない。

そしてその欲求は、これからあっけなく叶ってしまうのかもしれない。

それはもう、十二分くらいに。 

そんなことを考えていたら、「ピロリン! 」と私のアイフォンが鳴った。

のんのんからメールがきていた。 

(サヤ、カラオケで全然見なかったけど、どこいるのー?

私は先輩の家に泊まりにいくんだけど、サヤも一緒にいかない??)

「メール?」 

ケンキが私に尋ねる。

「うん。だけど、後で返すから大丈夫」 

私はその時初めて、親友を無視する勇気を覚えた。 

私はもう、のんのんに縛られて生きる女の子じゃない。

 私は私。

これから私だって、あなたに負けないくらい幸せになるんだから。 

……

高校を卒業した少年は、そして、 大学生になった。  

一年間の浪人を経たのにも関わらず、志望校には落ちてしまった。  

予備校生の時、彼は人生で4番目の彼女ができた。

あの時彼女なんて作ったのが間違っていたのかもしれない、と彼は今さら考えている。

とにかく頭がいい女の子だった。 

そのくせ、可愛かった。

だから予備校でも断トツにモテていた。 

自尊心が高かった彼は、もちろんその女の子をデートに誘った。

そして、2回目のデートで、彼女を物にした。

もともと彼は、整った顔立ちをしていたから、落とす自信はあったのだ。

しかし、いざ彼女と付き合ってから、彼は辟易した。

何回デートに行っても、雨が降らなかったから。

雨が降らない限り、彼が女の子に恋をすることはない。

(でも、いつか降るんじゃないか…?)


その望みを、ずっと彼女に託していた。

しかし、彼女とのデートで雨が降ることはなかった。

そのままずるずると、受験が終わるまで付き合ってしまった。 

一年後、彼女はK大に合格し、彼はそこに落ちた。  

そして程なくして、フラれた。

彼に悲しさはなかった。   

彼女に恋をしていないことは、自明だったからだ。

少年は大学生になってからも、男の言葉の意味を考え続けた。

もしかしたら、あの男は、ただの普通の人間だったのではないか。

普通の男が、小学生を可愛がるつもりで、からかっただけなのではないか。

どう考えても、そっちの方が自然だ。

そして、科学的だ。

しかし彼は、男の存在をなぜか否定できなかった。

大学生になった彼は、新歓のイベントにたくさん参加した。    

自分がこれから恋をする女性を探すためだ。

しかし、外見から女性を眺めても、何もわからない。

ヒントが何もない。

もう諦めようかと思ったところで、ついに現れた。  

いや、本当に彼女がその人間であるのかは分からなかったけど、彼女が飲み会の席で発した一言を、彼は信じようと思った。

「私、雨女なんですよね」   

その女の子は、サヤカと名乗った。

……

目を覚ますと、私はベッドにいた。

左側に温かい温度を感じる。

私の横で、ケンキが寝ていた。  

彼はすやすやと寝息をたてている。

彼の、筋肉が少しついた上半身が露わになっていたので、そっと布団をかけてあげた。  

そして、私の好きな横顔をしばらく見つめた。 

満足したところで、私は、鉛のように重い身体を持ち上げる。

どうやら、結局一晩中降り続いた雨は、やっと止んだらしい。 

朝の7時前。

小鳥のさえずりが聞こえる。

ここは都内のマンションの6階だ。

最上階。 

部屋は広くないけど、とても綺麗だった。 

ワンルームの部屋に、ベッドと本棚しかない。 

引っ越したばかりで、まだ何も買ってないのだろう。

一通り観察を終えると、私はベッドから出て、バルコニーへと歩いた。 

そして扉を開けて、バルコニーへと出た。 

雨は止んでるけれど、外は少し湿っぽい。

でも、太陽は出ている。 

6階からの眺めは、なかなかいい。

都内とはいえ、都心から外れたところだから、あまり高層の建物がないのだ。

まだ街は、動き始めていない。 

私は、考える。  

彼をうまく愛することができるかどうか、と。

最後のヒトではないのかもしれない。

でも、最初のヒトがケンキでよかった。

そう、心から思った。


……


彼が目をさますと、隣で眠っていたはずの女性がいなかった。


(全部夢だった…?)


彼の漫画じみた妄想は、バルコニーに女性の姿を発見して消え去った。


身体を持ち上げる。


お酒に強くなかった彼は、自分の頭が痛いのを認めた。


バルコニーに向かって歩く。


どうやら、雨はやっと上がったらしい。


「コーヒーと紅茶、どっちがいい?」


彼はそこにいた女性に尋ねた。


「んー、コーヒーかな。まだ眠いから。


ねえ、それより、虹が出てるよ!ほら、あそこ」


彼は彼女が指差した、東の空に顔を向けた。


19才の少年は、遠い空にかかった、七色のアーチを見た。



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